アニョハセヨー! in釜山  第4日目

釜山旅行記 (2015.12.22)

釜山の4日目の朝がきました。7時30分朝食をとり、10時まで帰国の支度をしながらホテルでのんびり過ごしました。お昼まではお土産の買物を兼ねて、南浦洞まで出かける予定です。

帰る支度を済ませ、まずカウンターでチェックアウトをし、荷物をホテルに預けます。ホテルを出ると気温も上がりやや汗ばむ感じさえします。釜山駅前の広場を通り地下鉄へ向かうと、毎日のように屯しているホームレスの人たちの姿はありません。4日目にもなると、駅の改札はスムーズに通り抜けていきます。ホームに降りると電車の待ち時間も気にならず、すっかり釜山に慣れてしまいました。

南浦洞につくと、19日の夕方に来た同じ場所「光復路」のようです。まず友人の買い物に付いて回ることに。まだ10時過ぎなのに相変わらず賑やかで、いくつかの屋台に人が集まってています。大通りを抜け路地に入ると、通りの中央に低い食台がいくつも並んでいるのが見えてきました。準備中のようですが、中にはもう料理が盛り付けられて、数人の客が食事中です。食台の周りには水の入った大きなポリバケツが置かれていて、おそらく食器洗いの用意なのでしょう。やはり不衛生な感じもします。

友人の後を追いながら、店を見て回っていると、店員から呼び込みの声が煩いくらいに掛かってきます。通りを進むといかがわしい?店主に誘われ店の奥へ。初めての観光客はこんな店へ入ることはまずないので、怖い気がしました。「良い品があります。ブランド品ですよ!」と巧みな日本語で売り込みに真剣です。プレゼント用によ40000wの真っ赤な財布をお買い物です。

買い物が済むと、龍頭山公園にある釜山タワーに向かいました。光復路のメインストリート沿いからエレベーターで公園へ上がります。エレベーターを3回乗り継ぐと、公園入口に辿り着きました。友人は下で待つというので一人で見学です。

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公園には、韓国では国民的英雄である「李舜臣将軍」の銅像がまず目に入ります。文禄・慶長の乱で、豊臣秀吉率いる日本軍を相手に活躍した救国の名将軍として知られています。銅像を通り先に進み、階段を上がると奥に釜山タワーが見えてきます。高さ120mあり高所恐怖症の人には怖い気がします。タワー入口で5000w払い中に入ると狭いエレベーターがあり、中に案内の女性が笑顔で立っていました。ドアが閉まり僅かな時間で展望台へ直行です。ドアが開き展望台へ足を踏み入れるとそこは別世界です。足元が不安定な感じに襲われ急に怖くなりました。身体が宙に浮いた感じがし、気分が悪くなりました。

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外を見ると釜山港が眼前に広がっています。真下を見ると公園が小さく見えます。アイゴ~アイゴ~!怖いで~す!人の歩く姿がものすごく小さく見えます。何とか気を落ち着け、展望台の一周を試み、ビデオカメラを回しながら展望台を一回りしました。途中に若い人が展望台の窓側に座りのんびり外を見ていますが、そんな余裕は私にはありません。早くタワーから下りようと、降り口を探しましたがありません。先ほど降りた所は開かないようです。どうなっているの?と展望台にある喫茶カウンターにいた女性スタッフにエレベータの降り口を「ダウン!」と手で合図しながら聞くと、女性スタッフは手招きで上に行けと合図しています。理解に苦しみながら、また展望台を一周しましたが、解りません。さらに一周していると狭い入口を発見!入口を覗くと狭い階段が見えます。この階段を上がるのだと解り、人一人がやっと通れる階段を上ると、階上の展望台です。ホッとするやら怖いやら、また一回りしていると、エレベーター口に女性スタッフがいたので、「ダウン!ダウン!」と連呼です。少しすると入口が開き、中に入るとドアが閉まりエレベーターは急降下。ようやくドアから出ると背中は油汗でびっしょりでした。外に出て上を見上げると済ました顔の釜山タワーが立っています。何事も無く無事の帰還でしたが、私もこの日から高所恐怖症の仲間入りです。

釜山タワーの見物を終えると、チャガルチ市場から南浦洞駅付近まで続く場外市場を散策しながら、韓国のりを箱入りを15000wで購入しました。友人はこのあとホテルで待ち合わせがあるとのこと。急いでタクシーでホテルへ戻り、待つこと数分、若い美人の韓国語の先生です。紹介され挨拶すませ隣で待つことに。たまたま隣の席にいた日本からの観光客に声を掛けると、なんと唐津&福岡の人です。会話しながら待ち時間を過ごすと、そろそろ移動の時間です。

ホテルからタクシーで釜山港ターミナルに向かい、バイキングの昼食をご馳走になりました。ナムルやキムチは味が店により違います。ここはあっさりした味でした。韓国のおしるこは砂糖が入っておらず、自分の好みで砂糖を入れるのですね。これも美味しく頂けました。

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出国までの待ち時間はまだ1時間ほどあります。売店を覗いていると、先ほどお土産に購入した同じ箱入りの韓国のりが山積みされています。何気なく価格をみるとナント!25000wの表示があり、先ほど市場で購入したので10000w安く購入出来ました。

見送りの韓国語の先生とも別れ、出国ロビーに移動します。入国の時と違い、かなりスムーズに審査が進みました。乗船のアナウンスが流れるまで椅子で待ちましたが、友人は疲れたのか居眠りをしています。

乗船案内があり、帰りの船は日本のビートルに乗船です。韓国仕様の船に比べると、日本のビートルは座席やシートベルトの性能が良く、船内も明るく感じます。出発の時間にはやはり正確に出航します。

船が岸壁から離れると船体が大きく向きを変え、スピードが上げると釜山港が徐々に遠ざかり小さくなりました。2時半頃の時間帯は日もまだ高く、12月の中旬とはいえ、窓から入り込む日差しはカーテンが必要です。博多に着くまで約3時間ですが、波もほとんど無く快適な船旅です。30分ほど走ると進行方向右側に対馬が見えてきました。

夕刻4時半を過ぎると、夕日がオレンジ色に輝き徐々にその姿が島影に隠れ始めています。船はそろそろ博多港に近づいているようです。

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アニョハセヨー! in釜山  第3日目

 

釜山旅行記(2015.12.21)

韓国3日目の朝です。外は小雨が降っています。今朝は7時ちょうどに起床、昨日の疲れが残っています。 予定通りに7時30分に朝食を取りました。 今日の予定は、文禄・慶長の役の折に日本軍が築いた城跡を見学することになっています。釜山には当時日本軍が築いた城の石垣がいくつか残っていて、その城跡を見て回るのも今回の旅の目的の一つです。8時30分にホテルを出発、地下鉄釜山駅から二つ目の佐川駅で下車し、徒歩で「子城台公園」を目指しました。途中で女性に場所を尋ねていると、たまたま通りがかったサングラスを掛けたやや強面の中年男性が、道案内をしてくれました。公園下に「朝鮮通信使記念館」がありましたが、月曜日で休館です。すぐ横の階段を上がると、上はスポーツ公園になっていて、スポーツ用の運動器具(縄跳び、フラフープ、バーベルなど)が置かれていました。ウォーキング中の方々にも出会いました。

子城台公園には、当時日本軍が釜山を攻略した時の様子を描いた『釜山鎮殉節図』が紹介されていました。ちなみに韓国では文禄・慶長の役を「壬辰倭乱」「丁酉倭乱」と呼んでいます。 公園は小高い山の上に作られていて、公園全体が韓国軍の城だったことがわかりました。ここを日本軍が一日で攻略し、後に駐屯地として利用したことが、現存する石垣で垣間見ることが出来ました。特に興味深いことは、日本式の城壁と、外にせり出した膨らみのある朝鮮式の城壁が今も残っていることでした。

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【参考】倭城の旅(1) 子城台倭城

子城台公園を見学後、向い側の小高い山の公園に向かいます。

公園を下り通りに出ると、華やかな韓国の民俗衣装チマチョゴリが飾られたお店がありました。ウィンドウショッピングをしながらタクシーを待ちます。東区図書館までタクシーで移動、急勾配の坂道をどんどん登りました。図書館で降りるとすぐ目の前に大きな看板が掲げてあり、一目で公園だと解りました。中に入るとここもスポーツ公園として整備してあります。

公園を一周すると、日本の城壁とはっきりわかる石組みが何箇所も見られました。公園の最上部はテニスコートの2面ほどの広さがあり、ここが本丸跡ではないかと友人の説明を受けました。広場に作られた見晴らし台に登ると、そこからは釜山港が一望できました。

公園までの帰路は歩いて下りることにしました。かなりの勾配の坂を下るので足が疲れます。ところが下る途中に手袋を忘れたことに気付き、見上げるほどの急な階段をUターン、とても疲れました。

【参考】 倭城の旅(2) 釜山倭城

※上記、倭城の旅はネット検索で見つけ、リンクさせてもらいました。

 

地下鉄佐川駅から西面(ソミョン)に移動し、ロッテデパートに立ち寄って昼食(石焼ビビンバ)を済ませると、一旦ホテルへ戻りました。

 

午後2時、地下鉄で南浦洞まで移動し、夕方までは別行動をすることにしました。友人はかなり疲れたと見えて、これからマッサージを受けます。私は南浦洞の漢方薬の原料を扱う生薬問屋や海産物問屋街を巡りながらチャガルチ市場を目指します。

ロッテデパート前の交差点を渡ると、朝鮮人参や乾燥した生薬が何種類も店頭に並んでいる問屋街です。私はもともと薬局で漢方薬を扱っていたので、生薬の相場を大方知っています。

勿論、生薬の相場はその時の生産高や需要により変動しますが、乾燥した朝鮮人参が300gで50000ウォン(約5000円)と聞き、当時の相場よりやや安い感じがしました。何軒もお店に入りましたが、日本語での会話は中々通じません。生の朝鮮人参もかなり安く販売していましたが、今回は購入をあきらめました。韓国は漢方薬が身近にあり、日頃から薬膳料理も作る習慣があることが良くわかりました。

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薬草店の並びには海産物の店がさらに軒をなしていて、100店舗以上あるといっても過言ではないはずです。

海産物の問屋街には、昆布、海苔などが積み上げられています。韓国海苔は日本のものと違い、透き通っていて薄く作られています。黒い色のスルメは料理用なのでしょう。これも束で積み上げられています。煮干は箱入りで販売していて、驚くほど安く購入できます。お土産用に海苔とスルメに乾燥カワハギ1kgを購入しました。

何軒もの店の軒先をカメラに収めながら、チャガルチ市場に向かいました。海産物の干し物店に次いで、取れたての魚や貝をザル一杯に盛り店頭に並べたお店がまた軒を並べています。夏場だと大層な臭いで閉口するだろうなと思いながら見て回りました。

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1時間も歩いたでしょうか。前方にかなり大きなビルが見えました。チャガルチ市場のようです。中に入ると4時頃だったせいか、市場で働く人たちは丁度お昼時で、作業の手を休めて食事中のようです。市場内をカメラ片手に散策していたら、目線はこちらに釘付けです。日本人だと解るのでしょうか?物珍しい目線が刺さりっぱなしです。

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チャガルチ駅近くまで来たら土産物が多くなり、一旦荷物をホテルに持ち帰りました。

再度チャガルチ駅まで戻り、今度はチャガルチ場外の店を見て回りましたが、場外市場も半端でない数の店舗が軒を連ねていました。(私が二十歳代の頃、東京築地の場外市場でアルバイトをしたことがあり、当時の活気を思い出しました。)

陽が少しずつ落ちかけ、店舗には裸電球の明かりが灯り始めてきたころ、地元の家族連れの人たちとはっきりわかる買い物客で、さらに通りは混雑し始めました。時計を見ると5時を回っています。友人と6時ちょうどにロッテデパートで待ち合わせをしているので、間に合いません。南浦洞ロッテデパートに向けてそろそろUターンです。チャガルチ市場から南浦洞のデパートは直線なのでとても解り易い場所です。

15分前にはロッテデパート噴水広場の待ち合わせ場所に到着しました。まだ友人は来ていません。すぐ傍のインフォメーションへ行き、案内係の女性に噴水ショーの時間を日本語で尋ねましたが通じません。案内の女性は「English OK?」と聞き返して来るではありませんか。仕方なく「OK!」と答えはしたものの、噴水ショーを英語で言うと・・・と一瞬頭が回らず、しばらくフリーズ状態になりました。そこで慣れない片言の英語で「ウォーターショー?」と尋ねると、「NEXT TIME Six o’clock Seven o’clock」とやさしく教えてもらいました。「イェ~イェ~OK!」と意味不明の返事をして、インフォメーションを離れました。

噴水広場前には多くの見物客でいっぱいになってきています。ベンチに座っている客を見渡していると友人が座って待っていました。手で合図し、席に着くと「噴水ショー」の開演時間が迫っています。時間になりアナウンスが流れると、広場の照明がやや暗くなり、ショーが始まりました。色鮮やかなライトが交錯し、噴水が上下してにぎやかな音楽が広場に響きます。しばらくすると天井から水がリズミカルに落ちて来て、よく見ていると文字も見えます。コンピュータ制御されているのでしょう。天井から降り注ぐ水のカーテンにカラフルなライトが当たり、バックに流れる音楽とともにショーは続きます。約10分ほどでしたが素晴らしいウォーターショーを見ることが出来ました。

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ショーを見終えると、デパート内の階上にある免税店を覗きました。お客は数少なく、女性客がちらほらいるだけなので、私たちの姿は意外と目立ちます。買い物はせずウインドーショッピングだけしてデパートを後にしました。時刻も7時でそろそろお腹が空いてきたので、一旦ホテルへ戻りました。

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ホテルのすぐ傍にビニールを張った屋台が7~8軒ほど並んでいる一角がありました。一杯やろうと言う事になり、入りましたがメニューは数少なく、取りあえず鯨の肉をオーダーしビールで乾杯です。カウンターのガラスケースの中を覗くと品数は少なく、店のおばちゃんがアナゴをやたらと薦めるので注文したのですが、これがまた不味く46000wを支払い早々と店を出ました。 屋台を出て、釜山駅の中の食堂で簡単な食事をしようと駅構内の店に入り、私はチゲ定食(7000w)友人はうどん(5000w)を注文、これは意外と美味しく頂けました。食後は、駅構内を散策しホテルへ戻りました。

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釜山旅行も3日目が終わり、明日は午後2時に釜山を離れいよいよ帰国します。

 

アニョハセヨー!in 釜山 第2日目

釜山旅行記 (2015.12.20)

初めての釜山の朝は6時40分に起床です。まだ昨日の疲れは残ったままなので朝風呂の用意をし、目覚まし代わりに入浴しました。7時30分、友人と部屋の電話で連絡を取り合い、一緒に朝食に向かいました。ホテルでの朝食はバイキングです。韓国なのでご飯をメインに惣菜はキムチやナムルなどが並んでいます。もちろん簡単な洋食メニューも準備してあります。私たちはご飯と野菜などをゲット、もやしのナムルやキムチは味が昨日食べたものと違いあっさりしていて美味しく頂けました。

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朝食を済ませ部屋に戻ると、テレビでは日本の海外向けチャンネルを受信していて、NHKの朝ドラ「あさちゃん」を見ながら出発の準備です。

 

今日は梁山(ヤンサン)の北部に位置する通度寺(トンドサ)目指します。予定よりやや早めの8時30分に東横インホテルを出発し、地下鉄釜山駅に向かいました。外は昨日に比べやや肌寒く感じます。 釜山駅から終点の老圃(ノポ)まで行き、そこからバスで通度寺に向かう予定です。釜山駅から地下鉄に乗りしばらくすると、電車は地上を走っています。電車の窓から、いくつもの白い高層ビルが立ち並んでいる風景が目に飛び込んできました。地元韓国ではアパートと呼び、日本の分譲マンションとのこと、数の多さに圧倒されました。ビル群は山の中腹どころか頂上まで建てられ異様な感じさえします。周囲には一戸建ての建物も建ち並んでいますが、ビル群に押しつぶされそうに見えます。この日は曇り空だったせいか、町が暗く沈んだ感じに見えました。

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車窓からの眺めに釘付けになりながら、約40分で終点の老圃(ノポ)駅に着きました。電車を降りると老圃の釜山総合高速バスターミナルから通度寺行きの直行バスに乗ります。改札を出るとバスターミナルは地下鉄駅と直結していてとても便利でした。

ここ釜山総合高速バスターミナルからは、ソウルを始め有名な都市を結ぶ直行バスが運行されていて、乗り換えなしで料金もかなり安く利用ができるようです。窓口で通度寺行きのチケットを購入し、34・35番のりばへ移動しました。通路にはコンビニや軽食店が並んでいて、店から漂う独特の臭いに閉口しました。コンビニに立ち寄りコーヒー飲料とロッテチョコを購入しましたが、表示はやはりハングルと英語でした。

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高速バスに乗り込むと乗客で7割ほど埋まりました。通度寺まで高速道路を走ります。バスの車窓からは、痩せた山肌が日本の山とは何故か感じが違って寂しく見えました。道路は幾分広く作られているようで、韓国のほうが良く出来ていると思われます。友人に尋ねると、韓国内の道路網は整備が行き届いているとのこと。以前に聞いた記憶だと、韓国の高速道路は戦時下では飛行機の滑走路に使えるよう作られているとか。なるほどと感心しました。

バスは順調に走り、通度寺に到着しました。外の気温は10度を下回っていると思われるほどです。持参の手袋を着用しました。終点のバス駐車場から山門まで約400mほど歩きます。通度寺前の門前町は賑やかさはなく、寂れた町の風景です。道路には煙草の吸殻が散乱し、マナーの悪さが気になりましたが、韓国は当たり前なのでしょうか。

通度寺の入口が見えてきました。「靈鷲山門」と書かれた大きな額が掛かった門構えは思った以上に大きく威厳がありました。ここで観覧料3000ウォンを支払い門をくぐります。

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靈鷲山門を通って、ここからさらに奥へ約1kmほど大きな松の林道の中を歩きます。林道の脇には渓流があり、自然を大いに満喫できます。また、道路には松の落葉が積もり柔らかい絨毯の上を歩く感じがしました。ウォーキングしている人にも出会いましたが、ウォーキングには最適のコースです。

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川向こうには、自動車の列が見えます。通度寺の入口駐車場までマイカーで行けるようです。受験のシーズンになると、ここを訪れる参拝客でかなりの賑わいになるとのことでした。通度寺山門にたどり着くと、日曜日なのか山門前の駐車場は満車状態です。

通度寺入口の観光案内所へ入ると若い女性スタッフが笑顔で迎えてくれました。私の友人とは知り合いらしく日本語も堪能です。コーヒーをご馳走になりました。

通度寺(トンドサ)について

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山門をくぐると、境内の中は古い威厳を感じさせる建物が幾つも建てられていて、荘厳な雰囲気に包まれていました。646年の創建時の建物は現存せず、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役 1592年)時にほとんどが消失していて、現在の建物は1601年と1641年に再建されていて、韓国三大名刹寺院に数えられているようです。本殿(大雄殿)には金剛戒壇の大きな扁額が掲げられていて、金剛戒壇に入るにはこの手前で履物を脱ぎます。本殿横を通り抜けて奥へ入ると広い石碑の中央に仏舎利塔があり、多くの参拝者が韓国特有のお辞儀(参拝)をしていました。(この本殿と金剛戒壇は国宝に指定されている。)

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寺院内にある聖宝博物館を含め約1時間ほど見学し、通度寺をあとにしました。

寺院からの帰路、観光案内所の女性スタッフと再会し、門前の食堂で一緒に昼食を取ることにしました。食堂の中は座敷があり、オンドル(床下暖房)が入っていました。ビビンバを注文すると、金属の器に入ったナムルとご飯のほか、辛味噌やキムチが運ばれて賑やかな食台になりました。数種類のナムルが入った器の上にご飯を乗せ混ぜ合わせるとビビンバの完成です。ビビンバと唐辛子の酢漬けを美味しく頂きました。

午後からは、聖宝博物館の前館長と会う約束になっていて、梁山市博物館へタクシーで向かいました。現在はここの館長をされていて、館長の案内で館内の千聖山企画展を見学したあと、さらに館長のマイカーで隣町の鼎冠博物館(釜山広域市機張郡鼎冠面)まで移動し、機張陶磁の企画展まで見学することが出来ました。機張で発掘された14世紀頃の陶磁器に出会い、日本との繋がりを感じる有意義な時間を過ごせました。博物館を出ると、地下鉄の南梁山駅までお送って頂き、西面経由で釜山の東横インホテルに戻りました。

夕刻6時、ホテルで待ち合わせた友人の釜山での知り合いと合流しました。今日の夕食は「韓定食」を頂く予定です。「韓定食」は韓国に伝わる宮廷料理だと聞いていました。旅行前にインターネットで検索して事前の情報をゲットすると、「数十種類の料理からなる韓国伝統の定食。宮廷料理を現代風にアレンジし、地方の郷土料理などと複合させたメニューです。」との記述があり、楽しみにしていました。

ホテルからタクシーで南浦洞のロッテデパートまで移動しました。デパート前の信号を渡り、「大宮」と書かれた店の二階へ上がると、部屋の予約席へ案内されました。勿論ここもオンドルが入っていました。

席に着くと事前に予約された料理が運ばれてきます。まずは韓国産のビールで乾杯すると、次々と料理が出てきます。胡麻のスープに始まり、洋がらしと酢の和え物、あわびとひらめの刺身、キビとナッツのお餅?、ユッケ、チジミ、揚げ魚、牛肉と野菜の炒め物、春雨と野菜のゴマ和え?、おこげのスープ、キムチや白いスープのキムチなどなど。定番の韓国焼酎も頂きました。料理のお品書きがあると良かったのに、残念!

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程よい満腹感と酔いでお店を出ると外はやや小雨が降っていました。食事のあと、知人に明日の予定の現地情報を教えてもらい、タクシーでホテルに戻りました。

アニョハセヨー! in釜山  第1日目

釜山旅行記(2015.12.19~22)

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現在の時刻6時15分。1時間も前に「我が家の若殿」ビービー君の唸り声に起こされてしまい、早い目覚めになってしまいました。二度目の海外旅行といってもお隣の韓国釜山で、沖縄よりも近い所です。とはいえ、海外には違いがないのです。最初の海外旅行(東南アジア周遊)からは15年も経ちますが、あの時のような興奮はありません。大阪や東京よりも近い距離なので、海外の実感が湧かないのかも知れません。

今回の旅行先の釜山は韓国第二の都市で、人口は約350万人(統計庁2012年)。韓国全体の人口が約5000万人あり、首都のソウル市が約1000万人で、仁川広域市と京畿道を含む首都圏の人口は約2200万人、なんと首都圏に約48%が住んでいる計算になります。

さて、今回の旅行は今日(19日)から23日までの3泊4日の日程で、有田を11時に出発し、博多へは13時までに到着の予定です。定刻に友人が車で迎えに見えて、博多へ向け出発しました。一般道を経て武雄北方インターから高速に入ると、平均速度を約88kmに設定された車は、アクセルペダルを踏まずに快適走行をしています。最近の自動車は進化しているのですね。鳥栖ジャンクションを福岡方面へ左折し、大宰府から都市高速へ入ると、前方上空には福岡空港から飛び立つ飛行機が見えてきました。しばらく走ると右手に着陸する直前の飛行機も見えました。予定の時刻通りに博多港国際ターミナルに到着しました。釜山へは高速船で渡るので、これから約3時間の船旅です。

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博多港で、まず乗船手続きです。受付カウンターは韓国の女性職員だったので「アニョハセヨー」と覚えたての挨拶をし、インターネットで予約しておいた予約チケットを差し出しました。乗船手続きは事前の準備をしっかりしておいたので万全です。と、ところが、二つのミスが発覚しました!

一つ目は二人のチケットを一人の名前で予約していたこと。アイゴ~アイゴ~! 海外旅行ではパスポートの確認があり、各々の名前で予約が必要だったのです。 さらに二つ目はとんでもないミス。アイゴ~アイゴ~!一人の予約分のうち帰りの便が一日早く予約してあるのです。といっても私がインターネットで予約した時の単純なうっかり確認ミスなのです。予約時に、帰る予定日の前日をクリックしていたようで、取り返しの付かないことになってしまいました。アイゴ~!  仕方なく一人分はキャンセルし、キャンセル料は免除してもらったものの、一人分は当日券を購入する羽目になりました。結局は早めに購入した安いチケットは一人分だけで、スタートからつまずいてしまいました。アイゴ~!アイゴ~!アイゴ~!

私自身これまでこの手の事件は何度も起しているので、さほど驚くことはないのですが、釜山旅行出発前の大失態!もう後の祭りでした。

乗船手続きに手間取ったため昼食の時間がなくなり、売店で手ごろな弁当を購入し、待合室の椅子で昼食を済ませることになりました。食事を終える頃に乗船案内がアナウンスされ、いよいよ出国です。出国手続きは思ったよりスムーズに進み待合室へ移動しました。周りを見渡すと殆どが韓国人ばかりで、日本人の姿は見かけません。実際には日本人も居たのでしょうが、見分けが付かなかったのかも知れません。出発の10分ほど前になり乗船が始まりました。

高速船の中は、外から見た目とは違い意外と広く感じました。周りを見渡すと9割ほど席が埋まっています。出発の時刻になりエンジンの唸り声が響き、身体へ振動が伝わって来ました。岸壁を見るともう船が徐々に離れていて、船はスピードを増しています。 博多湾を離れスピードが徐々に上がると、船は安定した速度で波を蹴り釜山を目指しています。

約2時間も経った頃でしょうか、左手にうっすらと島が見えてきました。対馬です。対馬は南北82km、東西18kmの細長い島なので、船から見える島の姿はしばらく続いていました。船の揺れは軽かったのに船酔いしたようです。 夕日が西の海に沈むころ、前方に韓国の陸地が徐々に大きさを増してきました。定刻から10分ほど遅れ釜山港へ着岸しました。船内は下船の準備で席を立つ人が目立ち始め、女性のキャビンアテンダントが席を立たないように声を上げています。下船の案内が告げられ、荷物置き場には客が我先に向い、下船が始まりました。

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出口では女性のキャビンアテンダントが笑顔で「アニョハセヨー」の挨拶で見送ってくれました。タラップを降りると、釜山港のターミナルビルの中へ乗客は急ぎ足で進んで行きます。幾つかのコーナーを回り、出国手続きの広いフロアーが見えてきました。乗客はパスポートを準備し列に並び、手続きの時間はわずか1分程度で完了している様子です。入国の窓口では、乗船前に書いておいた入国用のカードを沿えパスポートを提出し、アナウンスの指示で左右の人差し指を機械に差出します。さらにカメラに目を向けるとシャッター音がして入国手続きが無事終了しました。最近では指紋と目の画像をカメラに収め供えるようです。その後、手荷物の検査があり、これも事前に書いておいたカードを提出して出国手続きが全て終了です。

時計を見ると夕刻6時を回っています。釜山港ターミナルビルを出ると、バスに乗り込み、すぐそばの釜山駅へ向かいました。バスの料金は1010ウォンで、日本円で100円ほどです。事前に友人から頂いていた専用チップを機械にかざし、乗車しました。バスも地下鉄もこれがあるので安心です。

バスの車窓からは夕闇に浮かぶ夜景が広がります。数分で釜山駅にバスが停車し、下車すると目の前の釜山駅は大きなターミナルビルになっています。釜山駅を起点に、ソウルに向けKTX(韓国高速鉄道―日本の新幹線に相当)が運行しています。 私たちは駅の構内を港側から正面玄関側へと歩くと、駅前に東横インホテルが目に入ってきました。

ホテルに入り、正面カウンターでチェックインの手続きです。韓国人の女性スタッフの流暢な日本語で手続きがスムーズに終了しました。1階ロビー脇のロッカーからパジャマを1枚取り出すと、各々部屋に向いました。予約しておいたシングルの部屋は丁度良い広さです。早速、持参したパソコンをセットすると、早速日本へにSkypeから到着の連絡です。韓国と日本は時差がないので、夕食の準備中かも?と考えながらコールをしましたが繋がりません。手が離せなかったようです。

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部屋で20分ほど身体を休め、最初の予定通り日本円を韓国ウォンに両替するため、地下鉄釜山駅から南浦洞(ナンポドン)のチャガルチ駅まで、これから移動します。

韓国の地下鉄は上り下り線をしっかり確認して改札を出ることが必要で、行き先を間違った場合は目的地と逆方向に乗車する事に気付いても反対側に行く連絡通路がないようです。間違って入れば、一旦改札を出て新たに入ることになり再度料金が発生するので、行き先の確認をしっかりする必要があります。日本では考えられないようなことが、ここ韓国ではあるのですね。

地下鉄釜山駅の階段を下り、改札を通りホームに降りて電車を待ちます。地下鉄でもハングル文字が目立つ意外は日本の地下鉄と殆ど変りがありません。障害者や妊婦と高齢者には日本と同じようにシルバーシートが用意されています。特に驚いたのは座席のクッションが硬いことです。ほとんどクッションが無く、これにはさすが閉口しました。長い時間座っているとお尻が痛くなりそうです。

電車は約10分でチャガルチ駅に到着しました。時間は7時を回っています。この駅では多くの乗客が降りるようです。 改札を出て階段を上ると、南浦洞の町が飛び込んできました。 明るく賑やかなネオンと若い人たちが多いのに驚きました。ここ南浦洞は東京新宿や渋谷の雑踏を思い出します。目の前の交差点では自動車が混雑していて、クラクションが鳴り響いています。さらに驚いたことは、赤信号でも車は何台も交差点に入り込み、一般車ばかりかタクシーまでも堂々と走り抜けて行きます。聞いてみると、韓国では信号無視は当たり前のようで、日本では考えられない光景でした。

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地元では有名な「光復路」へ向かうと、混雑は激しくなり前に進むことも困難になるほどの混雑振りです。 友人によると「光復路」の地名は終戦の8月15日に由来するらしいのですが、韓国では8月15日が日本からの開放・独立にあたり、韓国に光が差し込む光明の時代が来たことで、この名が付いたとのことでした。

ちょうどクリスマスシーズンでもあり、この通りはイルミネーションが美しく輝いていて、釜山の観光名所になっているようです。夜店がいくつも並んでいて、露店の人だかりが目立ちます。覗いて見ると食べ物が山に盛られ湯気を立てています。トッポギやおでんのお店もあり、何処の屋台も賑わっていています。露店の前では、長い串に刺さった食べ物を食べている人が多いのも目立ちました。 土曜日の夕方の時間帯なので特に若い人たちで賑わっているようです。ここ南浦洞のこの一帯はホントに露店が多いことに驚ろかされます。路地を曲がって進むと、路上にいくつもの食台が並び、食事をする風景が目に飛び込んできました。

年配のおばちゃんたちが小さな椅子に腰を下ろし、狭い台の上で色々な料理を作り提供しています。韓国式おでんもあるようです。小さな皿にキムチや野菜が盛り付けられていて、賑やかな食台が一見華やかに見えました。若いカップルや年配の人たちが美味しそうに食事をしています。

屋台と違って路上で食事を提供する様子はとても珍しく驚きでしたが、皿など綺麗に洗っているのだろうか?などと、衛生面をつい考えてしまい、食べる気がしません。アイゴ~アイゴ~!でも、地元釜山では当たり前の光景なのでしょうね。食文化の違いを見ました。

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また、この界隈は小さな店舗が所狭しと立ち並び、東京のアメ横を彷彿とさせました。 狭い道路の両側には衣類や小物をぎっしり積み上げた店が何軒も並び、活気を感じさせます。売り場には大きいボール紙に書かれた価格カードが貼られ、ガラス窓には大きなハングル文字が目立ちます。道路は幾重にも交差し、小さな店がひしめき合って並んでいます。

まずは、最初の目的地の両替店を目指します。何度も釜山を訪れている友人は現地事情に詳しく、両替も一番良いレートで交換してくれる所を良く知っているとのこと。南浦洞の裏通りを歩き両替所に着きました。入口に年配の女性が二人いて、中に外国人観光客二人が両替中です。(あはは・・・私たちも外国人ですね。)友人がお店の女主人と親しげに会話をして、(韓国語で)両替をしました。 今回の旅行は特別の買い物も無いので、取りあえずホテルの宿泊費と滞在中の食事代があればOKです。と言うことで私も5万円を差し出すと、50000ウォンのお札が9枚、10000ウォンのお札が3枚、5000ウォンのお札が1枚が手渡されました。合計で485000韓国ウォンですが、ゼロの数が多いので、何だかお金持ちになった気分です。

当日のレートは、日本円100円が韓国ウォンに交換して970ウォンでした。両替の交換レートは毎日変動するので、出かける前に新聞やNET検索で調べておくといいですね。

通りの途中で、年配の女性に友人が親しげに話をかけ、美味しい焼肉の店を紹介してもらいました。友人はたびたび韓国を訪れていて、古くからの知り合いのようです。やはり地元の情報は地元の人が一番です。

焼肉の店に着きました。電光の赤い看板とガラス窓には大きなハングル文字が踊っています。店内に入ると独特の臭いです。席を探していると店員から2階に行くよう合図があり階段を上がります。靴を棚に収め一番奥の席に落ち着きました。日本人が珍しいのか周りからの視線が注がれているのがわかります。赤いシャツの中年のおばちゃんに骨付きカルビをオーダーすると、おばちゃんがテーブルの中央に炭をセットし、薬味やキムチのほか白いスープのキムチやネギのナムルを運んでくれました。 ニンニクを鉄板に放り込んでいると、すぐに骨付きカルビが運ばれ、おばちゃんが手際よく焼き始めました。私たちはビールと定番の焼酎を飲みながら肉の焼けるのを待つます。「これはサービスです」と届けられた茶碗蒸しを食べてみましたが淡白でした。

肉が程よく焼けてくるとハサミで食べやすいサイズに切ってくれます。本場の焼肉料理を堪能し、アルコールの酔いで満足です。最後に冷麺を注文したが、船酔いの疲れが残っていたのか半分ほど食べ残してしまいました。食事が終わり、二人分の料金72,000ウォンを支払い店を出ました。

帰り道も相変わらず活気に満ちていて、土曜日の夜を満喫している若者たちで賑わっています。私たちはウインドゥショッピングを楽しみながら地下鉄の駅を目指しました。チャガルチ駅から釜山駅に戻り、改札から地上に出ると気温も下がっていて、肌寒く感じました。駅広場では帰路を急ぐ人が足早に通り過ぎて行きます。

東横インホテルに着くと、正面入口カウンターで部屋ナンバーと名前を告げ、部屋のキーを受け取ります。エレベーターで8階まで上がると疲れがどっと噴き出しました。部屋に戻るとまずパソコンを立ち上げ、インターネットで自宅へ連絡を取り今日一日の報告です。

その後、バスタブにお湯をはり、のんびり入浴しました。おやすみコールのあと、明日の朝に備え目覚ましをセットし、就寝までのあいだ今日一日の出来事をパソコンに入力します。こうして韓国での1日目が終わりました。

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明日は韓国の三大名刹に数えられる古いお寺の通度寺(トンドサ)を訪ねる予定です。

釜山旅行記-1

12月19日から3泊4日の日程で、お隣の韓国釜山へ友人と二人で出掛けた。若い頃から、一度は行ってみたいと思っていたが、なかなか実現せず近くて遠い国であった。最近になり、友人から一緒に行きましょうとお誘いを受け、ようやく実現することになった。

もともと韓国の人は日本人に良く似ていて違和感がないし、私の住む有田は昔から韓国とのつながりが特に深く、韓国の血を受け継ぐ家系も存在しているからなおさら親近感があるのだ。

さて、420年以上も前の時代にさかのぼるが、日本の天下統一を果たした豊臣秀吉は大明帝国の征服を目指し、明へ向け出兵を決意するが、その時の戦いが文禄の役(1592~1593年)と慶長の役(1597~1598年)で、学校の歴史で学び記憶している人も多いはずだ。地元有田ではこの戦いを「やきもの戦争」として紹介している。当時、茶人で豊臣秀吉の側近として仕えた千利休によって茶道が盛んになり、茶道具としての焼き物を隣国朝鮮に求め、多くの朝鮮陶工が日本へ連れてこられた。その内の多くが有田を中心とした肥前の地で焼物を作り、後に有田で日本初の磁器が誕生する事になる。焼き物の町としての有田の歴史は、今から400年前にさかのぼり、朝鮮陶工「李参平」の磁石発見に始まり、日本磁器発祥の地として全国にその名を馳せている。ゴールデンウィークに開催される「有田陶器市」を知らない人は数少ないと思われる。

韓国から帰り、滞在の4日間を思い出しながら書いていたら、初日の記録が7ページにも及んだ。
まあ、たわいも無いことをだらだらと書いているので、暇を持て余しているかたはお読み下さい。今日から2日目の記憶を頼りに書き進める予定です。