2021年4月、前任者が体調不良により退任され、任期途中で私が引継ぐことになり民生委員としての活動を始めることになった。民生委員の存在は知っていても民生委員が実際にどのような活動をしているのかは当初知らなかったので、何から始めれば良いのか戸惑い、同じ地区の先輩からサポートを受けながらスタートすることになった。
まずは手渡された「民生委員・児童委員の活動の手引書」を熟読した。さらにパソコンでネット検索し、実際に民生委員の活動がどのように行われているのか全国各地の実例などを参考に学習に励み、一日でも早く訪問活動が出来るよう準備を急いだ。
手渡された資料には「民生委員・児童委員の活動の手引書」のほか、前任者から引き継いだ福祉票がある。福祉票は各家庭の個人情報が記されているので取り扱いは慎重を期す必要がある。これまでの担当者が順に引き継ぐものと考えていたが、後に健康福祉課へ問い合わせると福祉票を持たない民生委員もあるらしい。
取り敢えずは訪問活動に必要な福祉票の整理から始めたが、65歳以上の一人世帯のみのファイルが一冊、団地の世帯一冊、残りの世帯はアイウエオ順に整理されているファイルが一冊の全3冊だった。
住民移動者一覧のファイルが半年以上も未整理のままになっており、整理することから始めたが、実際に使用してみると使い勝手が悪く、地番の順に整理した福祉票の方が樹分としては使い良さそうで自分の活動に都合の良い福祉票を作成することにした。
これも後ほど解ったのだが、殆どの地区では地番順の福祉票が存在している。家庭訪問をする際にも、地番順に整理された福祉票の方が自分的には判り易く使い良い。
さらに行政区別居住者リストと福祉票を見直し、記載漏れがないか確認を行った。
毎月の定例会では、住民移動の変動が順次配付されるので、民生委員は自身の受け持つ担当地区の住民移動を把握せねばならない。住民移動者一覧のファイルは出来るだけその日のうちに、福祉票の整理を終えるよう努めている。
さて、私が担当した中樽地区は自分の居住する地区から約1km離れており、なじみのない住宅地である。
訪問活動をするにあたり担当地区を把握する必要がある。担当地区の全世帯の訪問をして自分の顔を覚えてもらうことが第一と考え、訪問メモを持参してスタートした。
訪問は初対面なので、名刺代わりに訪問メモを作成し持参した。
不在の場合にも残せるので、以降は毎月新しい訪問メモを作成して配付するようになった。特に私が引き継いだ時期は、コロナ禍の真っ只中で家庭訪問がしずらい時期でもあったので好都合であった。
こうして私の活動が始まったが、当初はまず全世帯を一巡することから開始し、不在の家庭は訪問時間帯を変えて訪問するなど努めてきた。
家庭によっては訪問が迷惑だと玄関に入ることを拒否されることもあった。
またある日は、玄関ドアを少しだけ開けて、明らかにコロナ対策上訪問して欲しくないのだと思える家庭もあった。
65歳以上の一人世帯の訪問や高齢者夫婦の世帯など出来るだけ訪問を心掛けなければならないと、先輩の民生委員のアドバイスを受けたが、ケースバイケースで対処すれば良いことも徐々に理解できるようになった。
民生委員だからと意気込み、判で押したように家庭訪問をしなくてはならないものではないはずである。
こうして民生委員の一年目がスタートした。
自宅での暇な時間を利用して、インターネットを活用して民生委員関連の資料を読むことに専念した。
この本は、金子氏自身が民生委員として実際の活動を通して書かれた提言であり民生委員初心者の私には大きな勇気と希望を持たせるバイブルになった。
偶然にネット検索で、民生委員を4期努められた金子一保氏が書かれた「民生委員界のリニューアル : 23万人の仲間・国などへの提言」に出会った。
民生委員として委嘱を受け一年が経ち、この一年間の疑問や提案をまとめ民生委員同士の皆様へ「委嘱を受けてからこの一年間の活動報告ならびに提案」のA4ファイル2枚を配付した。同士の皆様がどのように感じるのか知りたかったし、色々な意見もあると思っていたが、反応は全くなく空振りに終わった。しかし、我が道を行くことに変わりなくマイペースで活動に邁進している。
会長へも直に提言を行い、「みんなの声」の意見箱の設置が辛うじて認められ、定例会の会場入り口に鎮座するようになったのは一歩前進になったと思う。
委嘱から2年目の11月(1年8ヵ月目)民生委員の 一斉改選の時期になった。多くの自治体で民生委員のなりて不足は深刻で、当地もしかりである。
一斉改選で部会長の新たな選出も行われて、12月から新任の民生委員を迎へ新たなスタートとなった。
また、私の居住区である地域では、新年度から委員同士の連絡学習会を12月よりスタートさせた。お互いの反省と自己研鑽の場として毎月の定例会予定日の午前中に集う計画だが、楽しく継続できることを期待している。
2022年12月記