近藤誠医師VS大場大医師の「がん放置療法」対談 

近藤誠医師VS大場大医師の「がん放置療法」対談

週間文春8月13日・20日夏の特大号に、”がん放置療法〟は正しいのか?のタイトルで、慶応義塾大学医学部を昨年退職され、『医者に殺されない47の心得』の著者でもある近藤誠医師が主張する”がん放置療法〟に対して「近藤先生の論法は危険だ」と真っ向から異を唱える大場大まさる医師の対談が掲載された。

近藤誠医師は慶応義塾大学医学部放射線科講師の傍ら『患者よ、がんと闘うな』ほか多くの著書を出版されてきた。 特に2012年に出版された『医者に殺されない47の心得』は2013年に100万部を越え、多くの反響を呼んでいる。

また、週間新潮9月3日号には、上記の記事への大場医師による「近藤誠医師7つの嘘」の反論記事が掲載された。 記事を読む場合、現在抗がん剤での治療中の方や病気が見つかったばかりの人、患者の家族や知人など、どのような立場にあるのかによってとらえ方が違ってくるのではないだろうか。

医療を受ける患者は、自分に適した治療だと信じて医師に従うのが一般的だが、こうした情報を知ると果たしてどちらの意見を信じて良いのか迷ってしまうのだと思う。 近年こうした情報は簡単に得られる環境が出来てきたが、自分にその情報が本当に適しているのか良く見極めることが必要だ。 患者や患者の家族の大半は医学的な知識が十分でない場合が多いと思われるので、主治医に委ねてしまうケースが多いようだ。

医療を施す医師の立場と医療を受ける患者の立場では考え方に違いがあって当然で、インターネットでは公的な機関による情報が発信されているので大いに参考にしながら、積極的に最新の医療を選ぶか、または東洋医学を含めた穏やかな医療を選ぶかは、自分自身の考え方や生き方で選択するのも良いのではないかと思う。 いずれにせよ医療は患者側に立ったものでなくてはならない。

私も長い間医薬品の相談・販売を通して薬局で従事してきた経験から、医療の裏側の実態に多くの疑問を持ってきた一人だ。  医師向け最新医学・医療情報サイトの「m3.com」を見ているが、毎日驚くような医療ニュースが配信されてくる。 現在、マスコミで取り上げられる医薬品による副作用や手術等の医療事故は、氷山の一角に過ぎないと強く感じている。

母の死

母の死

母が亡くなり10日が経った。母は口癖のように「100歳まで生きるとたい」と言っていたが、100歳を前に95歳の生涯を閉じた。

大正生まれの母は、持ち前の明るさで戦中から戦後の貧しさの中を力強く生きてきた。戦後まだ物資の乏しい頃、佐世保駅前の闇市で祖母と一緒に路上で商売をしたらしい。売るものがなくなると隣の仲間から商品を買い、その商品を並べては商いをしたと兄から聞いたことがある。笑顔で語る母が見えてくる。

私がまだ幼い頃、家の奥で煎餅を焼いていたことがある。商売の下手な父はその煎餅を自転車に乗せて行商に行っては売れずに持ち帰り、よく母に詰られていたようだ。気丈だった母は、私を背負い父が持ち帰った煎餅の一斗缶を両手に下げて汽車に乗り佐世保へよく出かけた。

母の背中で「母ちゃん、ぼくが大きくなったら駅長さんになる」何で?と聞く母に「駅長さんになったら母ちゃんの汽車賃がいらんもん」と言っていたと、母が笑顔で話して聞かせてくれたことを思い出す。 ※いらんもん ー 不要だ

物が乏しかった時代を生きてきた母は、物が無駄になることを嫌い「もったいない」と、いろいろな物を溜め込み捨てられずにいた。かなりの年代物で壊れてしまった冷蔵庫の中に新聞紙が入っていて、「冷蔵庫は使えないから捨てよう」と言うと、「物入れになるから捨てない」と言った。

また、カビの生えた割り箸が捨てずにあるので「処分するよ!」と言えば、「焚き付けになるから取って置く」と言う。その他にも捨てると言えば「いつか使うのだから捨てては駄目!」の繰り返し。最近になり、同年の親を持つ同じ世代は、私と同じようなやり取りをしているのだろうと思えるようになった。

母は根っからの頑固者で、根性が座っていた。自分が正しいと思ったことには絶対怯むことはなかった。弱音を吐くこともなかったし、涙を流す母の姿は見たことがない。完璧なほど自分中心に生きてきた母であったと思う。振り返ると母ほど幸せな人生はなかったのではないだろうか。

元気だった頃の母は、朝起きるとまず三面鏡の前に座り、約1時間ほどかけて丹念な化粧を施し、そのあと仏壇の前に座りお線香を上げていて、これが毎日の日課になっていた。「ご先祖さんに守られているとたい。だから100歳までは長生きするとたい。」嬉しそうに語る母を思い起こせば、100歳前に亡くなるなどとは考えもしなかったに違いない。当然、何の疑いも迷いもなかったと思う。

父が昭和59年に68歳で他界してからは、父の弟である叔父の面倒を見て暮らしてきた。叔父は若い頃に病気で片足を切断し独身のまま生家で過ごしてきたが、その叔父も平成11年に亡くなった。

その後、母はひとりのんびりと植木や花を育てながら過ごしていたが、私が帰省した平成16年から翌年6月まで同居することが出来た。同居の間はマイペースな母に私はついていく事が出来ず、毎日のように癇癪を起していたが、今思えば私だけの一人芝居だったようだ。

同居したことは私の一番の思い出になった。

 

投稿記事に同感!

投記事に同感!

今日の西日本新聞の投稿欄「こだま」に、宮崎市の産婦人科医が投稿した「仕方ないこと確実にゆるり」の記事が載っていた。先に記事を読んだ家内から、投稿者が同い年なので、「安心した!」と笑い顔で話しながら新聞の記事を指差した。

ここ数年、物忘れは当たり前?のことが多くなり、老化が確実に進んでいることを実感しているこの頃、同年の方が書いた記事を読み、みんな同じように歳を重ねている事に妙に納得!してしまった。

*出掛ける時に携帯電話が見つからない。
置いた場所などすっかり忘れてしまっている。
*スケジュール表に書いておいた今日の予定すら、書いたことを忘れている。
*人の名前が出てこない。
*昨日食べたばかりの食事のメニューを思い出せない。
・・・・・などなど数えるとホントにきりがない。

もっとも、私の周りの同年代の仲間も物忘れなどは当たり前で、朝飯前!と自慢し合ったりする。
自慢するほどのことではないが、確実に老いは隣り合わせなのだ。

いつだったか記憶からかなり遠ざかってしまったが、TSUTAYAの会員カードを見失っていたため、新しいカードを勧められ生年月日を聞かれたが、「年齢的にシニア・サービスが受けられます」とのこと。何だか喜んでいいのか、ちょっぴり複雑な気持ちになり辞退してしまったことを思い出してしまった。

しかし、老化は病気ではない。生きていくもの全てに負わされた宿命でもある。老いていくことを怖がることもない。老いを自然に受け止め、楽しむ余裕を持ちないものだ。

 

「栄養表現のカラクリ」から見えるもの

「栄養表現のカラクリ」から見えるもの

先日、十数年来の友人が我が家を訪れ、久し振りに楽しい話に花が咲いた。
その友人は長年糖尿病を患っており、インスリン注射を持参で一泊することになった。。
翌朝のこと、「毎日飲んでいるものがあるから、朝食はいらない。」と言う。
バッグから取り出したものは、良く見かける紙パックに入った『1日分の野菜』で、栄養のバランスが良いので朝は必ず1パックを飲んでいて、健康に十分気を付けているとのこと。

平成19年の国民健康・栄養調査によると、糖尿病の可能性を疑われる人を含めると推定2200万人以上もいるといわれていて、生活習慣病の「代表格」だ。生活習慣病は日々の生活改善が必須なのだが、十分な知識を得て取り組んでいるとは言えない。

さて、昨日の西日本新聞の健康コラム「素朴な疑問」に『1日分の野菜』が取り上げられていたので紹介したい。「素朴な疑問 食品の裏側から」西日本新聞 2015.1.21

内容をみると、「搾るときに繊維質は除かれ、輸送コストのため加熱濃縮される工程でビタミン、ミネラルなども減少。あとから減った成分を添加して栄養素の帳尻を合わせたとしても、素材からとった350㌘の野菜とは根本的に違います。」と記事にあるように、野菜30種類350g分の栄養がきっちり摂れるジュースだが、ジューサーを用いて自宅で作る生のジュースとは根本的に違うのだ。

友人に話を戻すが、十数年も前から糖尿病を患いながら、朝食は『1日分の野菜』を1パックだけで済ます食事のあり方は感心しない。しかも、体重がかなりオーバーしているのが一目でわかり(お腹は太鼓腹)、運動はほとんど行っていない。

長年の通院治療にもかかわらず、私たちの目から見るとインスリンを打ちながらの生活は本当に大変なことなのに、本人はその大変さを自覚していないのだ。現状の医療のあり方に大きな疑問を抱いた。

しかし、市販されている清涼飲料の中には糖分を多く含むものも数多く存在する。そのような飲み物を何も考えず飲んでいる人が多いことも事実だ。また、野菜嫌いで全く野菜を摂らないよりは、野菜ジュースは良いのだろうが、これだけで健康体質が作られるかといえば嘘になる。

私の10年日記

今年から老化防止の対策として「10年日記」に挑戦中です。

 

 ちなみに「私の10年日記」は手作りのA4サイズです。視力が良くないので、大き目サイズの日記帳を探していたのですが、B5サイズまでしかなく、自分専用のオリジナル版を作る事にしました。

A4のリングファイルと穴あけ用のゲージパンチが必要になりますが、オリジナルの日記帳は満足です!

「私も作りたい!」 PDFファイルを用意しました。どうぞご利用ください。

【印刷用PDFファイル】

「私の10年日記」の作り方-準備するもの

1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月

8月  9月  10月  11月  12月

表紙-1  表紙-2

正月早々に起こった食中毒

1月3日深夜、腹部の膨満感で目を醒ます。軽い吐き気があるが、嘔吐するまではいかない。
腹痛もなくトイレに駆け込む状況ではなかったので再び眠る。

起床後、吐き気がやや強くなり食欲は殆ど沸かない。身体がだるいので、炬燵に潜り込み横になる。2~3時間経っただろうか、突然吐き気が強くなりトイレに駆け込み嘔吐し、虚脱感とともにダウンしてベッドに。体温を測ると37℃あり微熱。夕方まで眠るが身体の虚脱感は取れていない。

我が家の主な暖房用の灯油が無くなった。この時期に灯油がないでは話にならないので、額に汗をかき身体がふらつく中出掛ける。帰宅後、ベッドへ直行。

熱を測ると37℃あり、体内の免疫力は正常に働いているようだ。

しかし、発熱したからと特に驚くことは無い。発熱すればすぐ解熱薬を服用したり、下痢をすればすぐに下痢止めに頼りがちだが、身体の免疫の仕組みを知っていれば何も大騒ぎすることはないのだ。

発熱の仕組みは、身体に細菌やウィルスが感染すると、身体を守るための防衛反応として免疫が働き、細菌やウィルスを追い出そうと熱を発生させるのだ。

下痢や嘔吐も発熱と同じで、体内に入ってきた異物として捉えたものは免疫が働き、体外へ排泄しようと防衛本能が働くのだ。

この様な時は出来るだけ安静に限る。胃腸への負担を避けるために食事を抜き、脱水症状を起こさないために水分補給を怠らないことだ。軽度の食中毒ならこれで十分だ。

水分補給の際に、いつも冷蔵庫に保存してある梅肉エキスを少量溶かし飲んだ。

※ 余談だが、梅肉エキスは古くから身体に良いことで知られ、梅の季節には梅酒とともに自宅で作る人が多いようだ。

さて、今回の食中毒だが、季節がら最初は「ノロウィルス」も疑ったが、潜伏期間が12~72時間で、その頃に食べたカキなどの貝類を疑わなければならないのだが、食した記憶はない。

しかし、食中毒を起こす可能性のある細菌は10種類以上あるのだ。
※厚生労働省

食中毒予防には、家庭内では気を付けないといけないことが数多くあり、どこかで細菌の汚染があったと考えられる。さらに、身体が疲れていたことで免疫力が低下していて、感染しやすい状況にあったことだ。

いずれにせよ、正月早々に食中毒を起こしてしまった現実は素直に認め、過信をせず今後は予防に努めたい。

予防には、食中毒の3原則と食中毒を防ぐ6つのポイントを参考に!

自己判断に頼らず医師の診断を躊躇わずに受けることも必要だ。

生命力を感じた瞬間

人は生まれながらにして「生きようとする力」を授かり生きていますが、往々にして「自分自身の力で生きている」と思っている人が少なくありません。しかし、日々の食事(肉や野菜や海藻・キノコなど)から多くの命を頂きながら生きているという事実を知らねばなりません。

よって、動物や植物などの多くの命を頂くことによって「生かされている」ということに感謝するすることが大切です。

若い時は元気もあり老化や病気など自身とは無縁だと思いがちですが、年々老いるごとに体力や記憶力の低下が個人差こそあれ誰にでも起きてきます。

健康に関心の高い人は40~50代頃から健康管理に努めはじめますから、この年代を境に体力差や病気の罹患率にも格差が生じてきます。

さらに、生命力にも差が当然起こってきます。
生命力は、自分の意思力だけではどうにもならないのです。

どんなに長く生きたいと強く願っても、日々の健康管理がなされていなければ、その願いは達成されはしないでしょう。

日本は世界で一番の長寿国になっていますが、その背景には医療の進化や充実が大きく関わっています。

しかし、食生活の改善を含めた日常の生活改善での健康管理が欠かせないことは言うまでもありません。

話は変わりますが、現在私の母は94歳で入院生活を送っています。
認知症の症状が7~8年前から徐々に進行し、3~4年前からは会話も殆ど出来なくなりました。さらに、食事を経口から摂れなくなってから1年4ヶ月あまり、IVHによる栄養補給に頼りながら生かされています。

IVH(中心静脈栄養法)は、ポート(点滴注入口)を首や胸の皮下に埋め込んで栄養(高カロリー輸液)をカテーテル(管)で入れます。食事の経口摂取が困難な患者に行われるもので、感染のリスクはありますが、感染がなく良好な状態ならば良い栄養状態を維持出来るのです。

一人暮らしで気ままな生活に慣れ、運動も全くしない生活が当たり前の日常で、偏った食生活が長年続いており、高脂血症や糖尿病も進行していました。

施設へ入所してからは栄養状態が徐々に改善され、さらに入院してからはIVHからの栄養でだけで血液の状態は比較的安定してきました。

主治医からは、IVHだけでも現状の維持が十分可能で、感染症さえ注意すれば「100歳まで生きる」と口癖だったも夢も可能性が出てきました。

大晦日、「私がわかりますか?」の声掛に、母が「わ・か・る」とはっきりした声で応じてくれました。いつも病室では耳元で「わかりますか?」と何度も声をかけてきたものの、これまでは全く反応が見られなかったので、一瞬信じられませんでした。

本人の生きたいという執着と強い意思を見せられたようで、生命力の凄さをあらためて感じた瞬間でした。

「生命力」は生きるための前向きに働く力で、言い換えれば自然治癒力の旺盛な状態であるとも言えます。

しかし、私たちの周囲には多くのマイナスに働く要因が溢れています。

食品添加物や大気汚染、暴飲暴食や過剰なストレスなどのほか、喫煙や薬剤による影響も要因の一つとして挙げられます。

いくら健康に良いことをしていても、マイナスに働く要因を無視しては「生命力」は元気に働いてはくれないのです。

日頃からの心がけとして、こつこつ毎日積み上げる良い習慣こそ大切ではないでしょうか。

医薬品の添付文書

医薬品には添付文書が付いているが読んでいない人がかなりある。
私は医薬品販売の経験があるが、医薬品に添付されている能書をよく読むように指導してきた。用法・用量を守るのは当たり前なのだが、これを守らない人があるのだ。
また、医薬品にはつきものの副作用も起こり得ることを知っておく必要がある。知らずに服用して、あとで思わぬ事態に遭遇することはまれではないのだ。

一般用医薬品には薬局やドラッグストアーなどで販売されている医薬品と一般家庭へ業者が配置する置き薬がある。これらの医薬品は比較的副作用も少なく安全性が高いとされるもので、素人でも自己判断で服用することが可能な医薬品といえる。
さらに、病院などで処方される医療用医薬品があるが、医療用の医薬品に関しては医師の診断により処方される医薬品で、一般の人が簡単に購入したり自己判断で服用することは避けなければならない。

最近では医薬分業もかなり進み、医師から処方箋をもらい、薬局で薬剤師に薬をいただくシステムが浸透しているので、医薬品による事故はかなり減っていると思われるが、現在でも殆どの方が医療用医薬品の添付文書を読んでいない。また、添付文書があることも知らない人が数多くいることが実情だ。

私がかって薬局を開業した昭和50年代は医薬品添付文書集の書籍を購入して、その情報を得て一般の人へ伝える努力を行ってきが、現在は数十年前までと違い多くの情報が公開されており、医薬品の情報も簡単に入手することが容易になった。

医薬品の内容を知るためのサイトはいろいろあるが、独立行政法人医薬品医療機器総合機構のHPを紹介したい。
病院や医師からもらった薬の名前を入力し検索すると製薬会社が発行している添付文書をだれでも簡単に読むことが出来る。添付文書を読むと重篤な副作用も記載されている医薬品もあり、中には不安になる人もあるだろうが、正確な知識は必要だ。

2014年10月10日付けの西日本新聞のコラム欄「聴診記」に、「薬の添付文書を読もう」との記事が掲載された。記事の終わりに「どの医師も添付文書をしっかり読んだ上で、薬を処方していると信じたいが、『添付文書をちゃんと読んでいる医者はほとんどいない』(ある医師)との声もある。」とあった。

まさかと疑いたくなるような言葉に唖然とするが、患者側も自分の健康を医師任せにせず、医薬品を服用する前に、副作用など思わぬ事態を招かないよう必ず添付文書を読むことをおすすめしたい。

禁煙宣言から一年

禁煙の宣言をしてようやく1年が過ぎました。これまで何度もチャレンジしてみたものの、全て失敗に終わってきただけに、今回は快挙といえると内心満足しています。

とはいうものの、一日に5~10本くらいの喫煙だったので止めることは無かったのかも知れませんが、「あなたが健康でいてくれないと困る!」とビワ温灸を受けに来る患者さんからの一言に、ようやく重い腰を上げることが出来て、今は感謝しています。

喫煙といえば、煙草を吸っている本人よりも、そばにいる吸わない人の方が多分に害を受けます。不公平な話ですが、今まではこのことを真剣には考えていなかったと自分自身反省をしています。喫煙を止めて初めて事の重大さに気が付きました。

主流煙に比べて副流煙は多くの有害物質を含んでいるとよく言われます。  特にニコチンやタールには、発がん性があることは誰もが知っているにも関わらず、喫煙をしていない人がいる前での平気な喫煙は非常識極まりないと思うようになりました。  最近では、殆どの公共施設では禁煙が常識になっています。

愛煙家にとって、喫煙の行為は楽しみの一つだと同情もしますが、煙草を吸わない周囲の人への配慮はとても大切です。マナーを守って楽しんで欲しいと思うこの頃です。

ひとりごと

ビワ温灸と関わるようになってから、15年もの年月が過ぎようとしています。
特にここ数年は歳月の経過が年々早くなってきたように感じてなりません。
多くの方々に聞くと、殆どの人が「自分もそうだ」とおっしゃいます。
年を重ねることは自然で、一年の長さは少しも変わるわけがないのに、
どうして毎年早く過ぎていくように感じてしまうのでしょうか。
「それが老いるということだ」と何となく解るのだけど、やはりこれも仕方のない事実です。
老化防止になると信じて始めたパソコンへの挑戦も、早いものでこれも15年が経ちました。
もともとメカ音痴を自認していた私にとって、まさかの上達ぶり?に驚いています。
地域で開催されているパソコン教室にも通わず、勝手気ままな独学での挑戦は、かなりの勇気がいりました。なにせメカ音痴なのですから。

今から15年前まで、東京にて2つの支店を持つ薬局の経営をしていながら、当時FAXさえも使えない有様でした。今考えると嘘みたいなホントの話なのです。
当然、パソコンなど使えるようになるわけがないと決めていたのです。

でも、何かに挑戦をしようと勇気を奮い立たせたのは一体何だったのでしょうか?

最初の一年は、購入したまま触れないまま時間が過ぎていきました。
2年目になり、会社の立ち上げを思い立ち、定款づくりなど提出書類の作成を始めました。
さらに、海外旅行の記憶を辿りながら、旅行記を書く事にも挑戦しました。
これは、のんびり思い出しながらの作業だったので意外と文字入力の練習に役立ちました。

また、突然に起きた網膜剥離の手術での入院の際も、パソコンを病院に持ち込み、自分史を綴る良いチャンスに恵まれ、ここでも文字入力の良い練習期間になりました。

でも、その甲斐あって、今ではパソコンとは切っても切れない?仲になっています。

全くの素人だった私が、ホームページ作成もチャレンジを初めて3度のリニュアル作業を行いましたが、これはやっぱり素人の域でやはり難しい作業にいつも難儀しています。
7~8年前からはこのホームページも多くの方々に見て頂けるようになり、本来ならばもっと更新作業を行い、充実した内容のあるものにするべきなのに、その作業を怠ってきたことを本当に反省しているこの頃です。