春を告げる「梅の花」

小城市の「牛尾梅まつり」に行ってきた。牛尾山一帯の梅林では約1万3000本の梅が咲き誇り、昨日と今日は牛尾神社でイベントも行われて、今日は八分咲きと思われ多くの家族連れで賑わっていた。気温も20度を越え、春の穏やかな一日ウォーキングを兼ねて散策を楽しんだ。

真向かいにある東多久町納所には佐賀県特産のビワの産地があるが、今年は1月の冷害の影響で収穫は難しいらしい。 佐賀新聞2016.2.13

梅祭りの最中に見かけたビワの木は、どうにか冷害に耐え実を付けていた。

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6月中旬には、大きな果実に育つことを祈りたい。

 

不審メールが増えています

このところ、銀行名で不審なメールが毎日のように届く。

「りそな銀行」から半年前くらいから頻繁に届くようになった。

本日付けの西日本新聞には、「郵便不在通知装うウイルス-日本郵政名でメール」 との見出しで注意喚起の記事が掲載された。

記事は、「配達するため電話をしたがつながらなかった」と記載し問い合わせのため添付ファイルを開くよう求めている。 との内容だ。

もし郵便局から、このようなメールが届けば、ついメールを開く可能性が高い。

しかし、この手の不正メールは絶対に開封してはいけないと判っていても、つい開きたくなるような文面で書かれているから困る。

以前から、「日々やり取りしているメール以外は絶対に開かないように!」と言われてきたのだが、最近の不正メールはどんどん進化して見分けがつきにくいのだ。

いずれにせよ、常に疑ってかかるくらいの用心深さが必要だ。

 

きんかんのマーマレード

昨日は「きんかんのマーマレード」作業に追われた一日だった。キンカンは小粒ながら約6kgあり、ひとつひとつ種を出しながらの刻み作業は中々手間がかかった。

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材料は、金柑1kgに対して三温糖300gとビワミン1カップを使用。  ※ビワミンはぶどう酢。

<作業の過程>

①まず金柑を刻むことから開始。

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②金柑1kgを鍋に入れ、三温糖300gとビワミン1カップを入れ、その上に落し蓋としてリードペーパーの中央に切り込みを入れてかぶせる。

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③中火で約25~30分間煮て、蓋をしたまま鍋が冷えるまで放置する。吹きこぼれないように注意!

④鍋が十分に冷えたら出来上がり。

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⑤出来上がった金柑マーマレードを入れるガラス容器は煮沸消毒をして準備しておく。

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作業開始から約4時間でようやく金柑のスライス作業が終了したが、終わったら指先はふやけ、ナイフを持ち続けた右腕は筋肉痛を起こしていた。

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久方振りの大雪です

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今朝目を醒ますと、外は昨夜から降り始めていた雪で銀世界になっていた。

時折吹雪いていて周りが見えなくなることもある。このまま降り続くと積雪は10センチを越えそうな勢いだ。

例年でも今日のような雪が降ることは珍しく、水道が出なくなることもあまり経験がない。今朝は水道管が凍りつき、湯沸かし器は使えなかったが、幸いに我が家は井戸水が出るので何とか過ごせている。

日頃から何不自由なく生活をしていて、水の有難さなど感じることがないが、こんな日は感謝せずにはいられない。

ウォーキングとパソコンで老化防止!

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今日は、自宅から約5kmの大谷(ウータン)越えコースを歩いた。やや寒い気温だったが、山越えのコースで身体も温まり良いウォーキングになった。山道とは言え、途中で一台の乗用車とすれ違がった。舗装も無い石ころだらけの道なので、自動車は滅多に通らないコースなのだが、山中の途中に2軒の家があるので、そこの車なのかも知れない。

昨年は、ひと月に20日間はウォーキングを実行しようと挑戦してきたが、一年間のウォーキングに出掛けた回数が244回で、一ヶ月平均20回の目標が達成できた。

雨の多い月や夏場の気温の高い日などはウオーキングに出掛けていないので、お天気の良い日は積極的に出掛けるよう心がけてきた。

今日で満66歳になったが、何かにつけ歳を取ったと実感するこの頃だ。自慢にはならないが物忘れなど日常茶飯事で、頭も身体も老化の下り坂を確実に下っている。今年も体力維持をのために軽度の運動を継続して、積極的に老化防止に努めようと思う。

正月の2日には、6年前に購入した windows vistaが不調になってきたため、新たにパソコンを購入したが、これも頭の体操には欠かせない。新しい物は何かと面倒なのだが、回らない頭に刺激を加えるのも、老化防止に一役買うはずだと良い言い訳をしている。おかげで我が家のパソコンは、windows7が3台にデスクトップのwindows 10が加わった。頭の体操と趣味を兼ねながら老化防止に役立っていると思う。

 

「私の10年日記」

昨年の正月に始めた「10年日記」が一年経った。三日坊主になるだろうと気楽に書き始めたのが良かったのかも知れない。わずか二~三行の日記でも、継続するのは難しいと思っていたが、その日の出来事や他愛もない事を書いているうちに一年が過ぎていた。
「私の10年日記」は手作りのA4サイズ、自分専用のオリジナル版が欲しい方は、簡単に出来上がるのでご利用頂きたい。
2015年のスタートですが、良かったらどうぞ!

【印刷用PDFファイル】

「私の10年日記」の作り方-準備するもの

1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月

8月  9月  10月  11月  12月

表紙-1  表紙-2

 

新年早々の更新作業

元旦からホームページの更新作業を行いました。

一年半ほど前に始めた「私の独り言」を、ホームページから独立させようと、一時Yahoo!ブログで試作したのですが、そのまま放置してしまい、昨日覗いてみるとその間に試作のブログに迷い込んだ人?がいて、数ヶ月ぶりの返事を書きました。あはは・・・。

と言うことで、今回はこれまでのブログを全て移動させ、

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として、リンクが完成しました。この作業に約3時間ほど費やしました。

まあ、老化防止を兼ねた作業なので楽しみながら行っています。

こんな医師の説明っていいの?

こんな医師の説明っていいの?

つい最近、知人から聞いた話です。母親が、足の親指を深爪し化膿してしまい、医者にかかり薬を飲んでいたところ、吐き気がして食欲が無くなってしまった。担当の医師に聞いてみると、「背中が曲がっているため」との説明があり、「とりあえず薬を休みましょう」と言われたようだ。母親は「抗生物質を飲んでから具合が悪くなった」と言っていて、薬の副作用ではないのか? と話してくれた。

抗生物質の服用で起こりやすい一般的な副作用としては、胃の不調や下痢があげられるが、担当の医師はなぜ「背中が曲がっているため」と説明したのだろうか。

確かに背中が異常に湾曲していれば胃を圧迫してしまい、胃の不調を起こすことが考えられる。しかし、背中の湾曲が原因だとすれば、薬の服用にかかわらず普段から胃の不調を訴えていると思われる。

知人の母は以前にも、風邪がなかなか治らず症状が改善されないので薬が合わないのでは?と、同じ医師に訴えたことがあり、この時医師からは「これで良いので黙って続けるように」と怒られたことがあった。もう少し患者の立場に立った説明が出来ないのか。このような説明では医師への不信感が募ってしまう。

近藤誠医師VS大場大医師の「がん放置療法」対談 

近藤誠医師VS大場大医師の「がん放置療法」対談

週間文春8月13日・20日夏の特大号に、”がん放置療法〟は正しいのか?のタイトルで、慶応義塾大学医学部を昨年退職され、『医者に殺されない47の心得』の著者でもある近藤誠医師が主張する”がん放置療法〟に対して「近藤先生の論法は危険だ」と真っ向から異を唱える大場大まさる医師の対談が掲載された。

近藤誠医師は慶応義塾大学医学部放射線科講師の傍ら『患者よ、がんと闘うな』ほか多くの著書を出版されてきた。 特に2012年に出版された『医者に殺されない47の心得』は2013年に100万部を越え、多くの反響を呼んでいる。

また、週間新潮9月3日号には、上記の記事への大場医師による「近藤誠医師7つの嘘」の反論記事が掲載された。 記事を読む場合、現在抗がん剤での治療中の方や病気が見つかったばかりの人、患者の家族や知人など、どのような立場にあるのかによってとらえ方が違ってくるのではないだろうか。

医療を受ける患者は、自分に適した治療だと信じて医師に従うのが一般的だが、こうした情報を知ると果たしてどちらの意見を信じて良いのか迷ってしまうのだと思う。 近年こうした情報は簡単に得られる環境が出来てきたが、自分にその情報が本当に適しているのか良く見極めることが必要だ。 患者や患者の家族の大半は医学的な知識が十分でない場合が多いと思われるので、主治医に委ねてしまうケースが多いようだ。

医療を施す医師の立場と医療を受ける患者の立場では考え方に違いがあって当然で、インターネットでは公的な機関による情報が発信されているので大いに参考にしながら、積極的に最新の医療を選ぶか、または東洋医学を含めた穏やかな医療を選ぶかは、自分自身の考え方や生き方で選択するのも良いのではないかと思う。 いずれにせよ医療は患者側に立ったものでなくてはならない。

私も長い間医薬品の相談・販売を通して薬局で従事してきた経験から、医療の裏側の実態に多くの疑問を持ってきた一人だ。  医師向け最新医学・医療情報サイトの「m3.com」を見ているが、毎日驚くような医療ニュースが配信されてくる。 現在、マスコミで取り上げられる医薬品による副作用や手術等の医療事故は、氷山の一角に過ぎないと強く感じている。

母の死

母の死

母が亡くなり10日が経った。母は口癖のように「100歳まで生きるとたい」と言っていたが、100歳を前に95歳の生涯を閉じた。

大正生まれの母は、持ち前の明るさで戦中から戦後の貧しさの中を力強く生きてきた。戦後まだ物資の乏しい頃、佐世保駅前の闇市で祖母と一緒に路上で商売をしたらしい。売るものがなくなると隣の仲間から商品を買い、その商品を並べては商いをしたと兄から聞いたことがある。笑顔で語る母が見えてくる。

私がまだ幼い頃、家の奥で煎餅を焼いていたことがある。商売の下手な父はその煎餅を自転車に乗せて行商に行っては売れずに持ち帰り、よく母に詰られていたようだ。気丈だった母は、私を背負い父が持ち帰った煎餅の一斗缶を両手に下げて汽車に乗り佐世保へよく出かけた。

母の背中で「母ちゃん、ぼくが大きくなったら駅長さんになる」何で?と聞く母に「駅長さんになったら母ちゃんの汽車賃がいらんもん」と言っていたと、母が笑顔で話して聞かせてくれたことを思い出す。 ※いらんもん ー 不要だ

物が乏しかった時代を生きてきた母は、物が無駄になることを嫌い「もったいない」と、いろいろな物を溜め込み捨てられずにいた。かなりの年代物で壊れてしまった冷蔵庫の中に新聞紙が入っていて、「冷蔵庫は使えないから捨てよう」と言うと、「物入れになるから捨てない」と言った。

また、カビの生えた割り箸が捨てずにあるので「処分するよ!」と言えば、「焚き付けになるから取って置く」と言う。その他にも捨てると言えば「いつか使うのだから捨てては駄目!」の繰り返し。最近になり、同年の親を持つ同じ世代は、私と同じようなやり取りをしているのだろうと思えるようになった。

母は根っからの頑固者で、根性が座っていた。自分が正しいと思ったことには絶対怯むことはなかった。弱音を吐くこともなかったし、涙を流す母の姿は見たことがない。完璧なほど自分中心に生きてきた母であったと思う。振り返ると母ほど幸せな人生はなかったのではないだろうか。

元気だった頃の母は、朝起きるとまず三面鏡の前に座り、約1時間ほどかけて丹念な化粧を施し、そのあと仏壇の前に座りお線香を上げていて、これが毎日の日課になっていた。「ご先祖さんに守られているとたい。だから100歳までは長生きするとたい。」嬉しそうに語る母を思い起こせば、100歳前に亡くなるなどとは考えもしなかったに違いない。当然、何の疑いも迷いもなかったと思う。

父が昭和59年に68歳で他界してからは、父の弟である叔父の面倒を見て暮らしてきた。叔父は若い頃に病気で片足を切断し独身のまま生家で過ごしてきたが、その叔父も平成11年に亡くなった。

その後、母はひとりのんびりと植木や花を育てながら過ごしていたが、私が帰省した平成16年から翌年6月まで同居することが出来た。同居の間はマイペースな母に私はついていく事が出来ず、毎日のように癇癪を起していたが、今思えば私だけの一人芝居だったようだ。

同居したことは私の一番の思い出になった。