ビワについて知りたい 
 
 
 
 
 


    
福島鐡雄博士の研究

福島鐵雄博士は東大医学部を卒業され、札幌鉄道病院の物理科長のときに「皮膚を通して行う青酸療法−河野大圭禅師の枇杷の葉療法の紹介とその科學的研究」として、月刊誌「日本及び日本人」に発表されました。昭和2年のことです。
福島博士は当時の西洋医学に失望され、東洋医学や民間療法などに関心を抱かれました。

若き医学者福島博士は河野大圭禅師を訪ね、禅寺にこもりビワの研究に取り組みます。そして、論文を執筆します。

福島鐵雄博士 福島博士の論文
 「日本及日本人」の表紙

福島博士は論文の冒頭で、次のように述べられています。

 「今日の西洋醫學が其の治療的方面に於て頗る無力にして、到底救世の具に非ず、今や全く行詰まりの状態にあるは、心ある者の等しく知れる所なり。
即ち西洋醫學は唯徒らに診断のみにとらはれ、治療的方面を殆ど顧みず、最高學府の教ふる醫學は煩雑極まる空理空論のみにして、真の醫學とは頗る縁遠きものと云はざるべからず。
これ西洋醫學が本質的に治療的方面に不適当なるを示す證左に非ずして何ぞや。

 不肖予の如きは幸に最高學府に學ぶの光栄を得、卒業後更に大學に於て、醫学の實際に就き、指導を乞ふの幸運を有したりき。
然れども西洋醫學の無力なる到底予をして満足せしむべくもあらず。
学べば学ぶ程失望し、學的良心の前に一種の自暴自棄に陥り斯くの如き無力なる醫学を奉ぜんよりは寧ろ醫を廃するに如かずと思ひし事一再ならず。
如何にして醫学本来の使命に忠實なるべきかと悶々の情に堪へざるものありき。

中略・・・中川忠直氏の「漢方醫學復興論」は従来野蛮視せられたる漢方醫學の本体が西洋醫學とは比較すべくも非ざる優等なるものにして、驚くべき治療的効果を記載せり。―余は同論を読みて、初めて漢方の偉大さを知り、直ちに漢方醫學継続の使徒たらん事を決心するに至れり。

中略・・・枇杷葉療法は何故に斯くの如き偉大なる効果を奏するかと云ふ「何故に」と云ふ事に集中し、之を科學的に研究して意外の大発見に到達せり、吾人の今茲に論ぜんとする皮膚を通じてせる青酸療法即ち是なり。

中略・・・吾人は斯る偉大なる治療法が、長く民間に埋れて充分に其偉力と恩恵とを発揮するの機会なかりしは、人類の幸福より之を見て、頗る遺憾の事と為し、一日も早く世に之を紹介し且つ科學的にして最も合理的なる方法たるを知らしむるは、吾人の義務なりと信ずる者なり・・・・。」と述べられ、枇杷葉療法解明への熱意が伝わってきます。


「皮膚を通して行う青酸療法」では、下記の臨床が記録されています

1、内科的疾患 61例
2、外科的疾患 21例
3、小児科的疾患 2例
4、産婦人科的疾患 13例
5、眼科的疾患 4例
6、皮膚科及び泌尿器科的疾患 8例
7、精神科的疾患 1例
8、整形外科的疾患 10例
9、耳鼻咽喉科的疾患 2例
10、歯科的疾患 1例
123例


さらに福島博士は、第4章 青酸の奏効機轉に就ての冒頭で
「吾人は第2章に於て枇杷葉療法の奏効範囲が頗る広汎にして、且つ其効力の迅速確實なる當さに天下無雙と称す可く、吾人の醫學的常識を超越せる奇蹟と称するの外無きものなる事を記し、更に第3章に於て此の枇杷葉の霊妙なる機能は其有効成分たる青酸に帰すべきを説明したりしが、本章に於ては更に進で青酸が如何なる作用機轉に因り、斯の如き効力を発揮するか、其理由に就きて考慮する所あらんとす。」と記し、

第5章 結論に於ては

1、萬病は一元的に皮膚を通して遂入せる青酸に依りて治癒し得べき可能性ありと豫想さる。
2、結核癩癌等を始め古来難治或は不治とせらるる幾多の疾患も青酸療法に依りて治療の面目を一新し得と信ず。
3、其他の凡有ゆる疾患は、青酸療法に依りて、著しく治療の速度を攝iせらるるべし。
4、青酸療法に於ける最も大なる特長は、多くの疾病が必ずしも厳密なる診断、殊に鑑別診断を要せざる事なり。
5、青酸療法は何人と雖も殆ど熟練を要することなく之を實行し得るの便あり。
6、青酸療法は、卓越せる對症療法なると同時に、最も確實なる根本療法なり。
7、醫学上の理論的方面に及ぼす青酸療法の影響も亦甚大にして、深刻なるもの有る可し。
とし、
此等の結果將來の臨床的醫學は、極端に簡單化せる醫學と為り了はる可し。即ち萬病を一元的に治療し得るものなれば現今内科外科を初めとして、多くの部門に分科せる臨床醫學は、將來に於て必ず渾然融合して、一となるべき運命を有す。必ずしも診断を要せず、且其治療方面の簡易なる點より之を見れば、之を以て醫學の極致なりと云ふも、決して過言に非らざる可し。更に眼を轉じて、吾人の研究を社會科學上より之を観んか。其意義も亦頗る大なりと云ふ可し。實に全人類は青酸の應用に依りて、病魔の恐怖より大部分を脱却し得らる可く、全人類の幸福之に過ぎたるもの有らざる可し。」
と結んでいます。

福島博士の発表された論文は、西洋医学が隆盛を極めた当時としては理解されるには時期が早かったと思われます。

昭和の初期に画期的な学術論文を発表した福島鐵雄博士は、故郷である佐賀県西松浦郡有田町外尾山の墓地に眠っておられます。(昭和53年没)

論文は出来るだけ原文のまま掲載しました。
     
福島鐡雄氏についての新聞記事

福島鐡雄氏はやきものの町として知られる佐賀県有田町に生家があります。
地元に残る当時の新聞「松浦時報」-大正12年7月15日付けには東京大学を主席にて卒業し、有田へ帰郷された時の模様が記事に残っています。
 
 
 
■TOP ■ビワについて知りたい ■いろいろなビワ療法 ■ビワ療法の基本のツボ ■ビワ療法を覚えたい
■ビワ関連商品のご案内 ■サイトマップ ■リンク ■ビワ療法Q&A ■ビワ療法の体験記録 
 TOPへ戻る 
Copyright (C) 2016 BIWA OnnetsuRyouhouKenkyukai. All Rights Reserved